三島由紀夫と松本清張

 図書館で三島由紀夫全集と松本清張全集を借りてきた。三島由紀夫の『豊饒の海三部作』を読みたいと感じたからだ。松本清張は『黒皮の手帳』を読みたかったが、なかtったので『黒の福音』を借りた。三島由紀夫もボディビルをやっていたので三島由紀夫のような身体になりたいと思いつつ筋トレに励もう。

入院生活と肉体改造

 病院に入院してから一か月がたった。そのあいだに個室で体幹トレーニング・クランチ・シットアップ・スクワットを3×10回30秒のインターバルをあけておこなった。ぽっちゃり出たお腹は変わらないがドローイン(呼吸によってお腹を凹ませること)するとお腹が割れるようにまで見た目も変化したし、動くことにおっくう感がなくなっていった。最大の変化は80kgあった体重が74kgまで減少したことだ。退院後は『フレンチバレエメソッド』という舞踊のメソッドをとりいれて地味に体幹を鍛えている。大転子(脚の付け根の関節)が動くようになるまで一週間くらいかかりそうだ。京都にいたころの身体感覚はもう墓場に放り出されているらしい。

 

 入院生活では規則正しい生活と規則正しい服薬のおかげでお薬が減ることができた。大きな進歩だ。入院中にデイケアの一週間体験をしたので今日から本格的な通所となる。週2回の通所だが、慣れてきたらだんだんと増やしていきたい。担当看護師さんとの話のなかで将来の目標として「哲学の研究者」や「臨床心理士」という思いを伝えたが、あまりにも無謀な夢物語で地に足がついていないなとあとからふりかえると感じた。入院中に働くことに関心が移っていって作業療法士・看護師・看護師助手さんのあたたかさにふれることができ、仕事にやりがいをもって働く意義について考えざるをえなかった。デイケアの通所に慣れて作業所もしくは障害者雇用に定期的に通うことができ、ある程度のお金がたまったら医療系の専門学校が名古屋にあるらしいのでそこに通えればいいなと思っている。

 

 入院後の生活は規則正しい生活リズムと正しい服薬が土台となるが、それに加えてデイケアの通所の三本柱が主となる。まずは火曜日と金曜日の週2回の通所となる。火曜日はコーラスというプログラムでメンバーさんたちと合唱をする。ショートケアなので午前中のみのプログラムになる。金曜日は午前中は音楽鑑賞で午後からはダンス。EXILEのダンスを踊るらしい。ダンスは音楽に合わせてステップすることが苦手らしいことを入院中のOT(精神科リハビリテーション)の体すっきりプログラムで発覚したので不安だ。でもなれていきたい。

 今日は鬱で隣町の合唱団に行くことができなかった。死にたいという気持ちが強い。ツイキャスを控えることにしよう。

 

 本を買った。『小説を書きたい人の本』と連城三紀彦さんの著した『処刑までの十章』と言う本だ。

 

 それから、左足が痺れて仕方がないので整形外科にいった。レントゲン撮影をしたら予想していた椎間板ヘルニアではなく、坐骨神経痛だったのでほっと胸をなでおろした。

 

 合唱団の練習(ベートーヴェンの『レ・ソレムニス』)が本格的な指導練習にはいっている指揮者はピアノをばんばんたたいて拍子をとり、ソプラノが金切り声をあげる。「馬力でおしきっちゃダメ」とのことで指導は厳しい。いつまで続くことやらわからぬ。。

第四章 マルガリーテの手記

 私は希死念慮に苦しめられている。その希死念慮をやわらいでくれる曲を夫は書いてくれる。私がその曲たちを弾くと魂が安らぐ。チェンバロとピアノを弾くことができるのは私だけで夫は弾くことができない。完璧主義の夫の音符たちは私にとって壁だが、編曲をすることができるので上手く弾くことができるときもある。私は小説を書いている。小説家でもある。月に一度、市民講座の「小説を書こう講座」で小説を書くための教師をやっている。

 

 小説を書くことは誰にでもそうかもしれないが苦しみである。産みの苦しみを経なければ「書く」ということはできないだろう。

 

 私は合唱団にはいっておりベートーヴェンの「ミサ・ソレニムス」を歌っていた。眠るときはハンスの書いた曲とともに聴きながら寝ている。睡眠学習というやつだ。なかなかねむることができないので『睡眠日記』をつけている。

<終>

 

 

 

第三章 ペーターの手記

 私は市民合唱団の指揮をやっている。まとめることが一苦労だ。テノール・バス・ソプラノ・アルトにわかれるのだが個性が強い。少しのディティールにこだわるタイプなので遅々として進むことができない。愚痴になってしまうな。統合失調症を患っているのでハンスと同じく論理的思考に弱い。芸術の大学にすすんだのは「君は直観がすぐれているね」とハンスに助言をうけたためだ。

 

 私はベートーヴェンを敬愛している。彼のおひざ元に留学したこともある。天才肌があるとすればそれは努力肌が継続してなるものであると信じている。私は聖書をよく読む。とくに旧約聖書の『ヨブ記』と『ルカによる福音書』を何度も繰り返し繰り返しよんでいる。

 

 詩を書くときは大抵手書きだ。

第二章 ハンスの手記

 私は双極性障害をわずらっている。双極性障害のⅠ型だ。躁のときは徹夜で作曲をすることができるが、鬱のときは一日中眠っている。第一交響楽は鬱からよみがえったときに書かれた作品だ。病気がひどいので食べるために職業訓練学校にかよっている。死にたいとおもったこともある。それは大抵鬱のときにあらわれる。私は人に依存しすぎる傾向がある。その昇華はピアノ曲の作曲ににも生かされている。

 

 私はプロテスタント教会にかよっており、ピアノ奉仕をおこなうためにピアノの勉強を独学でおこなっている。ペーターは交響曲ピアノ曲に編曲することが上手だった。マルガリーテは編曲した曲をいとも簡単に弾きこなすことができた。ペーターは統合失調症であったが、双極性障害でもあった。落ち込むと鬱になり一日中ねていることもめずらしくなかった。第二交響楽は不眠症の人たちに書かれた曲だ。

 

 芸術にはお金がかかる。そのために職業訓練学校に通い、最低賃金でお金を稼いで死にたみ(死にたいと思うこと)と格闘しながら作曲活動をしている。ペーターは文学が好きでよくゲーテを読んでいた。ゲーテ叙事詩ファウスト』は旧約聖書の『ヨブ記』にインスパイアされてできた作品らしい。

マルガリーテはチェンバロの名手だった大曲のバッハのゴルドベルク変奏曲を弾くことができた。そのことは私をなぐさめてくれた。死にたみにおびえながら生きているので麦酒をよく飲むクリスチャンとしてはあるまじき行為だ。そして眠剤も飲んでいるので余計に悪い。悪人だ。チェンバロの音に癒されている中二病患者でもあろう。毎日の死にたみと闘いながら作曲しているペーターはいい詩を書いてきてくれるので非常にありがたい。

 

 第三交響楽は鬱のひとのために書いた。鬱がすこしでもよくなるように趣向をこらした。ペーターは指揮がうまく市民合唱団の指揮をおこなっている。

 

 私は手記を書くことが苦手だ。論理的思考が乖離している。それも病気のためだ。

 

 

 

或る作曲家の物語

 第一章 音楽の仲間たち

 鬱病で苦しんでいたハンスは作曲家だった。躁の状態になると創作意欲が沸き起こり交響曲を次から次へと作曲していった。ハンスは貧乏でパンとスープでその日、その日を過ごしていた。教会の聖歌隊のミサ曲を作曲することもあった。指揮は下手であった。音の書き取りをすることができたが、読譜がにがてだったので妻のマルガリーテに頼んでもらったりした。ペーターはハンスの親友だった。ペーターは詩人だった。音楽に造詣が深く、歌詞つきの曲をハンスに提供したりしていた。

 

 マルガリーテはチェンバロとピアノを弾くことができた。ハンスの作曲した作品は魂がこもっていた。ひとのこころを揺さぶる曲でないとハンスは満足しなかった。完璧主義だった。ドイツに留学することもあり、そこで声楽を学んだ。ペーターは詩人であったが、小説やオペラの台本も書くことができた。ペーターは統合失調症を患っており、日々、幻聴と闘っていた。

 

 第一交響楽は歓喜の歌だった。鬱から躁にきりかわる時に書かれた曲でハンスは職業訓練学校に通いながら書き上げた。大作で2時間も演奏時間があった。

 

 ハンスは病気と闘いながら作曲を続けた。ハンスの楽しみはいつか指揮者になることだった。市民合唱団のバスやっており、歌うことが大好きでペーターといっしょにカルテットを組んで歌った。

 

 ハンスはバッハの音楽をこよなく愛していた。『マタイ受難曲』が特にお気に入りで作曲をする前によく聴きこんでいた。風がふんわりと舞うような曲や眠れる曲をよく書いていた。

 

 ペーターは希死念慮が強く、それを昇華すべく詩や小説を書いていた。ミサ曲は市民合唱団でよく歌われた。ハンスも歌ったこともある。