或る作曲家の物語

 第一章 音楽の仲間たち

 鬱病で苦しんでいたハンスは作曲家だった。躁の状態になると創作意欲が沸き起こり交響曲を次から次へと作曲していった。ハンスは貧乏でパンとスープでその日、その日を過ごしていた。教会の聖歌隊のミサ曲を作曲することもあった。指揮は下手であった。音の書き取りをすることができたが、読譜がにがてだったので妻のマルガリーテに頼んでもらったりした。ペーターはハンスの親友だった。ペーターは詩人だった。音楽に造詣が深く、歌詞つきの曲をハンスに提供したりしていた。

 

 マルガリーテはチェンバロとピアノを弾くことができた。ハンスの作曲した作品は魂がこもっていた。ひとのこころを揺さぶる曲でないとハンスは満足しなかった。完璧主義だった。ドイツに留学することもあり、そこで声楽を学んだ。ペーターは詩人であったが、小説やオペラの台本も書くことができた。ペーターは統合失調症を患っており、日々、幻聴と闘っていた。

 

 第一交響楽は歓喜の歌だった。鬱から躁にきりかわる時に書かれた曲でハンスは職業訓練学校に通いながら書き上げた。大作で2時間も演奏時間があった。

 

 ハンスは病気と闘いながら作曲を続けた。ハンスの楽しみはいつか指揮者になることだった。市民合唱団のバスやっており、歌うことが大好きでペーターといっしょにカルテットを組んで歌った。

 

 ハンスはバッハの音楽をこよなく愛していた。『マタイ受難曲』が特にお気に入りで作曲をする前によく聴きこんでいた。風がふんわりと舞うような曲や眠れる曲をよく書いていた。

 

 ペーターは希死念慮が強く、それを昇華すべく詩や小説を書いていた。ミサ曲は市民合唱団でよく歌われた。ハンスも歌ったこともある。